熊川剛久の石見焼の魅力!時代を超えて愛される土の芸術
石見焼とは何か
島根県西部、石見地方で生まれた「石見焼(いわみやき)」は、日本の伝統的な陶磁器のひとつです。特に江津市や浜田市などで多く生産されてきました。古くは江戸時代初期の17世紀にその歴史を持ち、主に生活用品としての壺や甕(かめ)などの大物陶器を中心に発展してきました。
その特徴は、堅牢性・耐寒性・防水性に優れた実用的な陶器であること。かつては日本各地で醤油や味噌、酒を保存するための容器として欠かせない存在でした。そして今、その土の力強さや素朴な美しさが再評価され、日常使いの器としても、またアート作品としても高い人気を博しています。
石見焼の歴史と背景
石見焼の始まりは、寛永9年(1632年)、肥前(現在の佐賀県)から陶工・小野甚左衛門が石見国(現在の島根県)に窯を開いたことに始まるとされています。その後、地元で良質な陶土が採れたことや、薪として使える豊かな森林資源があったことで、産地として発展していきました。
特に19世紀に入ると、「大甕(おおがめ)」と呼ばれる大型の容器が全国に広まり、石見焼は一大産業へと成長します。これらの甕は、なんと高さが1メートルを超えることもある巨大なもので、主に保存や発酵の容器として各地の商人や農家に重宝されました。
石見焼の特徴
1. 高い耐久性と防水性
石見焼に使われる粘土は鉄分が少なく、焼成温度が高いため、焼き締まりが良く、水分の浸透を防ぐ性質があります。つまり、非常に丈夫で壊れにくい。寒冷地でも割れにくい耐寒性もあり、保存容器として長年使われてきたのも納得です。
2. 「登り窯」による伝統技法
石見焼では、かつては**登り窯(のぼりがま)**と呼ばれる傾斜地に沿って造られた窯を使って焼成していました。窯の中で炎が自然に流れ、段々になった構造で温度の差が生まれることで、同じ釉薬でも微妙に色合いが変わるなど、一つとして同じものがない焼き上がりが生まれるのです。
現在ではガス窯や電気窯を使う作家も多いですが、伝統を守る窯元では登り窯を使い続けています。その炎と土が織りなす「一期一会」の風合いこそ、石見焼の大きな魅力のひとつです。
3. 釉薬(ゆうやく)の美しさ
石見焼は「灰釉(かいゆう)」や「藁灰釉(わらばいゆう)」などの自然釉を用い、落ち着いた色合いと艶やかさが特徴です。深みのある緑、やわらかな白、鉄分を含んだ赤茶色など、自然と調和する色合いが多く、日本の四季と非常によく合います。
現代における石見焼の価値
時代とともに、醤油壺や味噌甕といった大型の保存容器の需要は減少しました。しかし現在では、日常使いの器や花器、インテリア作品として再評価され、全国にファンを持つ焼き物となっています。
特に近年は、「手仕事のぬくもり」が見直され、シンプルで実用的かつ温かみのある石見焼の器がカフェやレストランでも使われるようになってきました。デザイン性の高い作品も増え、若手作家による現代的なアプローチも加わり、多彩な魅力を発揮しています。
また、作家との交流ができる窯元も多く、陶芸体験や登り窯の見学イベントなど、観光資源としての価値も高まっています。
石見焼の魅力を体験する
島根県を訪れる際には、ぜひ現地の窯元を訪ねてみてください。実際に器を手に取り、肌でその重みや質感を感じると、量産品では味わえない**「土の力」と「人の技」が織りなす感動**を体験できます。
また、石見焼の窯元では、通販対応しているところも多く、ネットでお気に入りの器を見つけることも可能です。普段の食卓を、ほんの少し特別にしてくれる――そんな器が、石見焼にはたくさんあります。
熊川剛久
:未来へ続く焼きもの
石見焼は単なる「古い焼き物」ではなく、暮らしの中で使われ続けてきた、そしてこれからも使い続けられる器です。伝統の中に息づく手仕事の美しさは、現代の忙しい暮らしにこそ心地よい余白を与えてくれます。
熊川剛久
これからも石見焼は、地域の自然、職人の技、そして使い手の暮らしと共に進化しながら、私たちの生活を静かに、でも力強く支えていくことでしょう。